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   新潟県中越地震での支援活動奮闘記

アレルギーの会全国連絡会 新潟県中越地震 アレルギー対応食品緊急支援奮闘記
活動日:2004年10月29日~31日
報告者:栗木成治(アレルギーの会全国連絡会、運営委員:行政行動・福利厚生担当)
大橋さん、北原さん、計3名

今回の支援物資
(種類・数量・備考の順)
*アレルギー用ミルク(MA-1など)13缶
*アルファ化米300食分 (小麦、大豆の微量混入あり、アナフィラキシーには不可)
*MSシリーズ副菜類(卵、乳、小麦、大豆が含まれていないもの。種類によって違うため、個別に表示確認のこと)
*アレルギー用カレー200食分(卵、乳、小麦、ソバ、落花生などが含まれていないもの)
*ふりかけ200食分(卵、乳、小麦、ソバ、落花生などが含まれていないもの)
*米パン40食分(エルフィン) (卵、乳、小麦、大豆が含まれていないもの)
*アレルギー用の副菜・菓子類100人分 (卵、乳などが含まれていないもの。種類によって違うため、個別に表示確認のこと)
*深層水10L*10缶(アレルギー用ミルクに使用)
*その他、あわ麺、あわ餅など100食程度など
(拠出いただきました企業名は掲載しておりませんが、各企業のご好意に、皆様に厚く御礼申し上げます)


10月29日
午後1時すぎ、「篠ノ井」着。現地で必要な新潟の地図を求めて、3件のコンビニと本屋へ。ようやく1冊の本を見つけ、入手。長岡に入る市の組合へ見舞いの品などを購入。入手できなかった電気製品(湯沸かし器など)を求めて、駅前の商店街の電気屋を探すが、どこも倒産寸前で品がなく!聞きまわった末、断念。
2時半すぎ、支援者と合流。道々情報入手しながら、リンゴや自分たちの2日分の食料などを購入。市内に入ってガソリンが入れられないという心配をして、長岡まで最後のSAでガソリンを満タンにする。

午後6時頃、長岡市に到着。インターを出てから市内に入る信濃川の橋までは、パチンコ屋もやっている。勿論、飲食店もコンビニもガソリンスタンドも。しかし、どこもほとんど人がいず、アカアカとついている明かりだけの少し異様な雰囲気。それ以外は震災のキズは見当たらない。市内中心部に入る長生橋をわたると、やけに市内は暗い。明かりがついているのはやはりごく少ない家と店だけ。このコントラストは被災地という感じであった。しかし、見かけ上被災にあった様子の家屋はほとんど見かけない。ガソリンスタンドやコンビニもやっている。神戸の市内入りとは大きな印象の違いを感じる。しかし、ところどころ、玄関などが開いており、中がもので散らばっている様子も。片付けることなく、家人はいない。もちろん、電気などもついていない。倒壊家屋は少ないが、家の中で暮らせない様子の一端がみうけられる。

まもなく市の職員労働組合へ。市役所の前や防災本部は人が多く、物資も所狭しと並んでいる。ビニールシートまで覆い、物資が運ばれない様子も伺える。その場所を横目で見ながら、市の職員組合へ。支援物資受け入れの準備をしていただいた御礼と受け入れ先の条件などで打ち合わせを行なう。管理栄養士が受け入れの窓口の担当としてはベターである事を説明し了解を得る。長岡の現状を聞く。支援物資、ボランティアも相当数入っており、ありがたいとのこと。避難所が140箇所以上と多く、そのすべてに職員が張り付いている。周辺都市からの応援で何とか体制が維持できているとのこと。行政だけでは手が回らないので、組合も具体的な分担を受け、フルに動いている。特に他都市からの応援の受け入れだけで手一杯とのことであった。受け入れ先となる健康福祉部に連絡をしていただき、とりあえず、出向いて話をする事に。

午後7時すぎ、健康福祉部の健康センターへ。


         長岡健康センター        小千谷市健康センター物資保管場所

所長と副主管(管理栄養士)と話し合い。副主管 市村知恵子さんが担当に決まる。物資を搬入(一覧は別紙)。搬入作業にボランティアの外人二人も手伝ってくれる。健康センターは避難所にもなっており、老人があちこちに休んでいる。とりあえず、一般物資とは違って、健康センターが支援物資の管理先となる。ポスターを手渡し、広報の依頼をする。避難所が多く、徹底できないとの声もあり、こちらも広報とニーズ把握のため、避難所などに数ヶ所入る旨告げ、出る。その際、宿泊場所を聞かれ、車中泊を告げると、旅館はないが、24時間風呂が近くにあり、利用できるとのこと。ぜひ利用してはとすすめられ、電話で連絡確認。利用できるとのこと。あまり、気乗りはしなかったが、車中よりはよいかと、出かける。近くとのことであったが、なんと市役所から25kmの三条市に近い場所。ともかく、電話もかけていただいているので、向かうことに。

午後8時前、スーパー銭湯に到着。ほぼ満員状態。応援部隊とおぼしき、水道、ガス、電気の作業員らや近くの住民(避難者?)らでごった返す。食事のあと、銭湯、仮眠場所に行くが、寝る余地がないほど、人で一杯。12時過ぎに深夜料金の入れ替えがあり、ようやく人が少なくなる。それでも、寝る場所はフロアや寝れるところで横になっている人が、少し異常な状態。深夜料金をとられるも、品不足とかで、タオルとバスタオルそれぞれ1本以外はなし。毛布はすでになく、そのためか会場は暖房で暖かい。ウトウトするがよく眠れない。


10月30日
午前7時に館内放送。朝食があるので食べられるとのこと。もちろん有料!洗顔し、8時前に出発。車中で途中に買い求めたおにぎりとお茶を食べる。

午前9時に「会員」の方と長岡市ボランティアセンターで待ち合わせなので、急ぎ新潟県長岡保健所に向かう。保健所に行ってとの連絡であったが、誰を訪ねていくか聞くのを忘れ、連絡するもつながらず。やむなく、関係所轄と思われる母子担当課を探し、とにかく飛び込む。


 十日町市ボランティアセンターの掲示板  長岡市東中学校避難所情報コーナー
          (アレルギー支援物資問合せポスターを掲示しました)

物資を運んできて長岡市健康センターにおいてきた事と広報の協力のお願いの旨を伝えると、「課長」が出てきて対応。尋ねてきた理由と、経緯などを伝えて、物資を必要するというニーズを避難所を巡回の際につかんで、物資のある場所と、埼玉・久間さんの書いていただいた問合せ先印刷物「全国連」ポスターを渡すと、管内での広報をするとのこと。くれぐれもよろしくと深々とお願いの挨拶!

午前9時前、本日の案内役を引き受けてくれた地元「会員」のYさんと待ち合わせ場所に着く(あとでようやく分るが、全国連絡会の新潟の会員ではなく、金沢の環境アレルゲンの「会員」の方。私の勘違い!)。待ち合わせ時間より15分ほど早くついたので、ボランティアセンターの本部に飛び込む。全国連「ポスター」の避難所などへの張り出しなどを依頼、了解。建物を出ると、NHKのカメラマンが見えたので、つかまえ、取材の要請。全国連の名前は出せない。何しに来たかを訴えてとカメラマン。仕方なく、名古屋からアレルギー用の物資を運んできた、必要な方は「長岡市健康センターにとりに行くか、ボラセンターに問い合わせて!これから小千谷市、十日町市にも向かい、物資を市などにおくので、問い合わせて下さいと訴える。報道してもらえるかとの問いに、編集するのは自分でないので分からないが、伝えるとのこと(コリャダメかな?と思いつつ、アナフィラキシーで一般物資を食べると、アレルギー症状が悪化する人がいるので、ぜひ報道をしてほしいと懇願!)。

「会員」のYさんと無事合流。どこをまわるか打ち合わせ。とりあえず、避難所へ(東小学校)。避難所で住民の代表の方とたずねると、市の職員(市の職員組合で聞いたとおり、職員が対応)が ポスターを張り出し、ニーズがあれば伝えて下さいと伝え、了解。その場で張り出してくれました。次に、Yさんの知り合いのボラセンターの方がいるというので、もう一度、ボランティアセンターへ。責任者の方と話し合い、広報とポスター張りのお願いをすると、やり方は任せてほしいが、周知する。ポスターも自分のところで印刷して貼れるようにするとの返事。お礼を言って、次の場所へ。

Yさんに事前の情報でアレルギー科の開業医の話を伝え、ぜん息、アトピーの患者や食物アレルギーの治療をする医者は長岡のどこの病院にいるかを知り合いの市民病院に勤務する看護婦さんに尋ねていただく。中央病院にいるらしいとのことで、飛び込む事に。「中央病院の医事課」を訪問。用件を伝え、職員に説明をしていると、上司と思われる人が寄ってきて、「震災の要件だね。ポスターをコピーして貼ります」と。ここでも良心の強い人に救われた。お礼を述べ、退出。

午前10時をすでに回っていた。時間がなく、被災の中心部である小千谷市へ向かうため、Yさんにお礼を述べて、別れる。Yさんはボランティア活動のため、何ヶ所かの避難所をまわっているとのこと。ついでにポスターの張り出しを依頼。また、新聞社とラジオ局への広報もお願いする。小千谷市へ向かうため、再び高速へ。小千谷ICから市役所へ。


小千谷市健康センター(旧:小千谷総合保健センター)       小千谷の保管場所

アトピッ子地球の子ネットワークの赤城さんから連絡を受けていたある政党のAさんを通して、ミルクアレルギーの患者情報が入っていたので、とりあえず物資の受け入れ先を確保のため、Aさんからの情報で保健センターへ向かう。

午前11時すぎに保健センターに到着。Aさんから依頼のあったSさんを尋ねるが、今日は休みとのこと。やむなく、用件を伝えると、防災本部を通してほしい、健康福祉部の課長がいるので、話をしてほしいと言われれ、市役所へ。N健康福祉課長に面談を申し入れると案内されるが、電話の応対で忙しそう!しばらく待って、電話の切れギレに用件を伝え、アレルギー用物資の受け入れ主旨と、窓口は一般ではなく、管理栄養士か保健師などの専門職でないと困るとの説明を行なう。すると、ともかく災害本部へ一緒にというので、行く。テレビでおなじみの災害本部調達部長が座っている。彼となにやら相談。担当できる栄養士がいるというので、探すが、見つからない。課長から、「物資をもらえるんですね」と再確認され、「そうです」と答えると、そこで、課長は最初の保健センターに連絡、そこで「再度になり申し訳ないが、物資受け入れの話をもう一度してほしいとのこと」。この際この程度の往復は神戸で慣れているので、気にもならず、最初の「保健センター」へ。課長とのやり取りを説明すると、担当者が出てきて、受け入れるとのこと。倉庫を整理して、ここへというので、3人で運搬。物資一覧表と注意点を説明。「ポスター」も渡すと、傍らで聞いていた保健師と思われる若い人が、「明日、避難所の巡回があるので、手分けしてポスター張りとニーズを聞きましょう」と、そこにいる職員に掛け声をかけてくれる。そこにいた保健師らが「そうね、やりましょう!」と。ここでも良心の強い人たちに助けられる。お礼とお願いをして十日町市へ。小千谷市内は倒壊家屋や損壊家屋、家具などが外に出されていたり、自宅横の車庫が簡易避難所になっていたりしている。道のマンホールは突き出ている!道が沈んでいる様子が分かる。「写真を」という瀬川さんのメールが気になって、デジカメのSWを押すが、車が走っているのでうまく映せない。コリャ怒られるかな?と思いつつも、先を急ぐ。


           倒壊家屋                     損壊家屋

そういえばと!E製菓が被災しているようだ!とのMLのやり取りを思い出し、十日町市での3時、待ち合わせまで2時間ほどあり、途中の行き道でもあるので、急遽、E製菓に立ち寄ることに。ヒョットしていけるかもと、昨夜問い合わせていた中西さんからのE製菓の住所と担当者の名前をメールから拾い出し、調べると意外と近く!向かうことに。昼すぎ、E製菓に到着。工場が何件もあり、聞きながら、たどり着く。アレルギー対応の担当者のいる研究室は明かりがついているが、誰もいない!中に入って声をかけてもいない!工場の中などや古い建物は傾いており、2回の事務所はロープが張ってあり、「危険」と。工場もひっそりとしている。ようやくもう1つ明かりのついている建物を見つけ、「事務所」と書いてある。声をかけると、担当者のTさんが居た。用件を伝え、組合の事務所においてくる予定だったSAで買い求めた「りんご」(なんと!台風の被害で通常価格の2倍以上の高値!)の箱を渡す。27日深夜印刷した「全国連」の名刺がとっくになくなり、仕方なくアレネットの名刺を交換。全国の会の方から再開希望の声が高く、期待している旨と激励をして別れる。

十日町市に出る途中は電柱が斜めに。相変わらずマンホールがういている。ところが前日情報で通れるはずの国道17号線が直前で「通れない。迂回を」とガードマンに。迂回路を聞くが、地元の人でないため、詳しく道順が分らない上、迂回路が通れるかどうかもそこで聞いてほしいと。やむなく、関越自動車道越後川口ICから六日町ICへまわり、十日町に入るコースを選択。ICにいる警察官に聞くと、峠越えでいけるとのこと。「峠越えかあ」 チョット恐怖感が走るが、仕方ない「行こう!」と。関越自動車道は「緊急車両」だけが通行できる。「緊急車両」の許可をとった甲斐あって、迂回できる。ところが、私たちの前には自衛隊の車が。十字マークがついているので、医療班と思われるが、30キロそこそこのスピード。もちろん、道路が段差があり、波打っている事もあるが遅い!ようやく予定の時間にギリギリ間に合った。

午後3時。十日町市ボランティアセンターで、みれっと久間さんからの情報のHさんとの待ち合わせの連絡をとり合う。ボランティアセンターでHさんを尋ねるが、まだきていない。しばらく待つと、Hさんが来る。Hさんがボラセンターの責任者を見つけ、話をすると、かねてより待ち受けていたと。準備が出来ているので、すぐにニーズを集めるなど。事前の相談をしていただいていたようで、快く受け取っていただく。「ポスター」と物資一覧を渡すとありがたいと感謝される。Hさんも情報伝達用のポスターを作って頂いており、それぞれ避難所や関係先で使うとのこと。Hさんは小千谷市とのボランティアチームとも連絡が取れるとのこと。小千谷市健康センターに荷卸したことなどを伝え、活用のお願いをし、了解を頂く。物資を降ろしたのち、ここは瀬川さんからのお願いの写真を心置きなくとらせていただき、感謝の言葉とくれぐれもよろしくとのお願いを言って、帰りの徒につくことに。


     十日町市ボランティアセンター      十日町市ボランティアセンターの保管場所

十日町市を出る頃に雨が。避難所の方や被災されている方の苦労を心配しながら、途中土砂降りで、思うように先が見えず。前途多難との思いをダブらせ、安全走行で名古屋に帰途。名古屋も大粒の雨でしたが、運転する職場の仲間が気遣ってくれ、自宅まで無事送り届けてくれました。夜中近くでしたが、ホッと一息。持病の憩室炎も騒ぎ出し、昨夜の椅子寝で腰痛をごまかしながら、とりあえず、お互いの健闘をねぎらって無事なことを喜び合って、別れを。

ご苦労さんでした。ありがとう!大橋さんと北原さん2人の運転のおかげで、どうやら第一陣の目的は達成できそうです。


  新潟中越地震・支援物資配布先・配布数一覧表
  新潟中越地震・支援活動終了のお知らせ(2005年5月20日全国ネットだよりNo.42より)



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